ネムス


最近こたつに魂吸い取られてるらしく睡魔がハンパ無い…
ゆうべ寝よっかな〜と思ってたら崎山さんが面白くてなんとなく遅くまで夜更かししちゃってたせいもある!
っていうか珍しく夜更かししてらっしゃったけど早く寝なくてだいじょぶなん?西井さん…。
私は早寝&ちゃんと寝の大事さを改めて実感したぜ!今日!
まあ最近睡眠時間&サイクルがメッタメタですけどな



そんなアグレッシヴ睡魔に襲われてる状態でツイッター見てたら
TLで見かけたユニゾンの田淵君の意見になんか「ええっ?」と思っちゃってgdgdクダ巻いてたんですが、結局消してしまいました
一応ツイートは消す前にtwilogにログを残してから消すようにしてはいるんですけどね
まあ長文でそんなのもどうだろうと思って…。そんな荒れてるとかいうツイートでもなかったし。
言葉尻をとらえただけの反射反応になってしまったかなぁと自省して、何度か時間をおいて田淵君のツイートを読み返したんだけど、やっぱりなんかすんなり飲み込めない感じだった。


田淵君の話の一部を概略すると、
音楽そのものは本来直接お金と対になる存在ではない、CDなどに払われる対価はそれを作ったコストや人間や関わった人間に支払われるものだ、
っていうのと
その対価を払って貰えるような付加価値を作るものの元は、アーティストの求心力やそういうものである
という話だと解釈した。
確かに実際の事実を並べると今そうなのかなあって思うんだけど、
TLで見た時「音楽そのものに価値はない」って言葉に!?ってなってしまって、つい反射的にわーっと書きそうになってしまった。
アーティスト、音楽を作ってる人側から見るとそういう風に見えるのか、思うのか、と思った。


CDの値段のうち、どれくらいが素材やプレス・印刷・流通などのコストで、どれくらいがレコーディング費用の回収で、どれくらいが印税になって、とか、ある程度の情報と想像はあるけれど(詳しくはないが)。
だからっていつでも「アーティストに対してお金を払ってる」って意識してCD買ってる訳じゃないけどなあ、仕組みがそうなだけで、
という意識のズレが自分の中にある。


なんていうか、仕組みとしては多分そうなんだろうな、と思うんだけど。
田淵君の書き方が「音楽売るならアーティストそのものに価値を感じさせないと」みたいな意味合いになんとなく見えて、
それがちょっと違和感あったんだと思う。
昨日の話に通じるけど、メンバーの事もバンドの事も全然知らないけど単純に曲が好きでCD買ってるってこともあるわけで。
正直「このバンドのメンバーが好きで応援したいから買う」みたいなのは物販だけでいいじゃん、と思ってる人間なので。
(物販は細々ながら出来る範囲で買うようにはしてるつもりです。それがバンドの活動費になるのならば。音楽作り続けていて欲しいから。物販はそういうもんだと思っている。)(…それがメンバーの「今日手持ちが1000円しかないから帰りの交通費に」とかってなってもそんくらいならまぁ、いいですけど。苦笑 どっかのライブでそういう人居たなあ。前に。)


話が逸れたけど、アーティスト信仰とか歌詞が超良い事言っててメンバー尊敬してるから好き、みたいのがあんまり好きじゃないのと
音楽はそれそのものにこそ価値がある、と思ってる奴なので
なんか田淵君の言葉に必要以上に過剰反応してしまった。
スタン君とか、ラルクとかにキャッキャ(*´∀`) (´∀`*)ウフウしたりして遊んでることはあるし
メンバーが嫌いとかいうわけじゃないけども(嫌いだったらあんなことやこんなこと、いちいち書かない…よね…)。


でもCDを買ったり音源を買ったりライブに行ったりするのは
その音楽を聴きたいからに他ならないからであって、
そうやってアーティスト信仰みたいな方向にいかないとお金が集まらないのってなんかちょっと不自然じゃない?と思ってしまう。
音楽がそこになければ、それはそういう文化なんだ、とかって納得するのかも知れないけど。
アイドルとかは人そのものを消費されるコンテンツなんだろうと思ってるし。



でも、そうだなぁ。
お金はまあともかく、バンドとかで客が集まってくるところっていうのは、その人達そのものがコンテンツになってるところも少なくないのかもしれない。
色んなものを見ていてそう思う時もある。
コアなファンがずっと着いてきてくれるのは、そのバンドに魅力があるからなのだろうけど。
その一番の魅力が音自体以外の、たとえば世界観とかキャラクターとか、そういうものばかりなのだとしたら
まして音そのものが受け手の中で少しずつおざなりになっていってしまうなら
私はそこには、馴染んでいけないや。
ラルクファンだけど、例えば熱烈なハイドファンと交流を持たないのは、やっぱり音楽よりハイドが好きな人達もいて、そこに馴染めそうにないからだ。
見下すとかそれ以前に、感覚が相当違っていて。



なんだろうか。考え過ぎなのかな。
私には尊敬するミュージシャンや好きなバンドマンはいても、
崇拝するロックスターがいないから
そういう感覚がわからないだけなのかな。
音楽と人を切り分け過ぎてるのかな。



まあキャラとか歌詞だけで売れてる人達ばっかじゃないだろーってのも思ってますが。(「信じてる」に近いのだろうか)
人柄キャラだけじゃその音楽を好きになれないというこんな人間もいるわけでね。
だからこそ出会いは大切で、知るきっかけが何であってもどれも多分大事で、
好きな音楽に出会えるのは嬉しいのであるよ





昨日ツイッター漂流してたら、
ボーカロイドがボカロヲタの囲い込みによってただのヲタクの内輪ネタで終わってしまいそうな気がする、それを助長してる風潮や現状に対して不満を感じる」、
という話で炎上?してた人を見かけたので
確かになーと思った。
東方とかはゲームだから、好きな人だけで集まっててもいいと思うんだけど
ボカロは一応音楽用ソフトウェアでありツールだもんね。
キャラ付けするという売り方で予想以上に反響があったけど、
それゆえにキャラを楽しんで内向きのブームで終わってしまいそうだ、というのもわかる気がする。


「今は内輪で盛り上がってるだけで、これではツールとしての発展性が生まれない」というようなことをその人は言ってた。
それを「ボカロヲタを叩きたいただのアンチだ、ボカロがキモイとか思ってるだけだろう、ヲタクが嫌いなだけでしょう」、と噛みつく人がいて炎上してたみたいですが、
しまいには「アンチ発言はツイッター利用規約やインターネット法で全面規制すべき」とか言い出してる人がいて怖かったです!
あの考え方で平穏無事に暮らせているのだろうかと逆に心配になる…。
人の話が中傷かそうでないかの線引きはなかなか難しいけど、
あれは単に自分が気に入らない言葉を封殺したい為だけに言ってたみたい。



その後私がフォローしてる方が
「世界をフィルタリングするのは自分自身なんだから、見たくないものは自分でシャットアウトすればいいんであって、システムに丸投げしちゃいかんだろうに。私の気に入らないものは存在するなって言い草は許されるもんじゃないと思うんだけどなあ」
とおっしゃってたのでめっちゃ共感した。
こないだ書いた、「音楽にまつわるブログやツイッターを見るのは自由」云々の話で言いたかったのはまさにこれと一緒でした。
知人の方が前に他の人に勝手に誤解された挙げ句誤解されるようなこと書くから悪いんだツイッター辞めろとか言われてたそうで、大変だなと思ったけど、
結構ね、いるよね…
自分の都合だけで一方的に「お前気に入らないから出て行け、ここから消えろ」みたいなことを言う人ね…。
私は離れるべきだと思ったら自分からどんどん距離おいたり消えたり関わらないようにしちゃう方なので、
自分は動かないでそこから相手を排除することしか考えない人というのもいるのだなーと思う。
ネットしてるとそういう場面を結構よく見る。
コワス
オフラインの世界よりそういうものが見えやすいだけなんだろうけどね…




わかりやすい文章が かけない!!
推敲能力がほしい!



っていうか、わかりやすい平易な言葉で
説明しづらいことやむずかしいことをわかりやすく説明してる人こそ
頭いいんだなあって思います。
池上先生とかね!
前に西井さんが書いていた「自然とは」的なエントリを読んでまさにこれだとオモタ
難しい言葉でそれっぽく、もTPO次第ですが
一度自分の中でよく噛み砕いて話すのは難しいよね。